イランに選ばれた「出光丸」
封鎖続くホルムズ海峡通過 革命前から信頼醸成
出光興産の大型石油タンカー「出光丸」が封鎖の続くホルムズ海峡を通過した。日本政府も通過を支援したが、ほかの日本船舶が続くかは不透明だ。むしろ出光がイランと築いた重層的な関係を理由に出光丸が選ばれたと見るべきだ。
出光丸は200万バレルのサウジアラビア産原油を積んで東に向かっている。高市早苗首相は「前向きな動き」と語る。引き続き日本関連船舶の通過を求めていく考えだが、今回の通過がすべての日本船にあてはまるわけではない。
出光丸から連想されるのは、1953年にイランに石油を受け取りにいった出光のタンカー「日章丸」だ。日本・イラン関係の象徴として、在日イラン大使館も出光丸の通過に際して日章丸に言及したメッセージをSNSで公開した。
70年以上前の出来事を今のイランの若者世代が知ることは少ない。しかし、英国の封鎖をかいくぐってイランに向かった日章丸は、欧米と対峙するイランに好都合のストーリーだ。同じ年に起きた米英によるモサデク首相打倒のクーデターとともに、革命イランの歴史に重要な記憶として刻み込まれている。
出光は日章丸の後もイランとの関係を維持してきた。
91年の湾岸戦争後には、石油元売りの中でいち早くテヘランに事務所を再開した。92年には当時の出光昭介社長が、革命とイラン・イラク戦争の混乱が残るイランを訪れた。昭介氏は出光の創業者で日章丸を派遣した出光佐三氏の長男だ。
昭介氏は筆者がこのときテヘランで話を聞いた際に「革命でイラン側の顔ぶれは変わったが、出光と日章丸のことを覚えていてくれた」と感激した面持ちで語っていた。
また出光は2019年に昭和シェル石油と統合した。昭和シェルは統合前にはイラン原油の取引価格をイラン国営石油会社(NIOC)と先行して交渉する役割を務めており、その結果が他の石油元売りの基準になっていた。両社の統合で人脈やパイプが厚みを増した面もありそうだ。
出光が濃密な関係を築いたのはイランに限らない。今回の出光丸通過に既視感を覚える出来事が36年前にあった。
イラクのフセイン政権が1990年8月、隣国クウェートに侵攻したときのことだ。
クウェート駐在の日本人ビジネスマンとその家族ら200人超がイラクに移送され、人質になった。やがて女性や子供は解放されることになったが、その中に出光のクウェート駐在員だった田代安彦氏が民間の男性で唯一含まれていた。
出光が湾岸戦争後にまとめた冊子「オイルマンの湾岸戦争」によれば、出光は駐在員拘束を受けてイラクの石油相や国営石油販売会社(SOMO)に解放を働きかけた。邦人全員の解放を求め、田代氏だけを名指ししたわけではないとしている。
今回の出光丸通過を受けて、筆者は田代氏に当時のことを確認してみた。
田代氏はSOMO総裁はじめ、イラクの石油関係者と顔見知りだった。イラクを離れる際、田代氏は「私だけが解放されることをどう説明すれば良いか」とSOMO総裁に聞いた。すると総裁は「SOMOと出光の良好な関係があったからでいいじゃないか」と答えたという。
出光は出光丸通過について、イラン側と交渉したかどうかは「回答を控える」としている。
「なぜ出光だけ」なのか。田代氏は「日章丸だけでなく、出光はその後のイランやイラク、サウジアラビアを含めた中東産油国との関係を地道に築いてきた」と語った。
企業が競争力のある中東産原油を調達・利用するのは当然の判断だ。
問題は高い中東依存度ではなく、外交もビジネスも依存度に見合う濃い関係を築いてきたかどうかだ。この有無が危機管理を分けるのであり、ホルムズ海峡危機はそこを試している。
(特別編集委員 松尾博文)
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